雲の上で昼寝がしたいときもある

リタイアして1年、断捨離をしなければいけないと思い、本の整理をし始めるとつい、座り込んでパラパラと中身を確かめてしまいます。うちはどの宗教に信心深いというわけでもなく、正月には神社に参拝、葬儀は仏式、クリスマスにはプレゼントとケーキというごくごく普通の家庭で、学校での道徳も大切なしつけと考えています。遠い昔、大学時代、つまらない講義を聞いてこの先どんな人生になるか、わからないと人並みに悩み、暇を見つけては古本屋に通い面白そうな本を探していました。そんな時期に、仏教思想に詳しい気象大学教授 ひろさちや氏の書籍をふと手にする機会がありました。

法華経の第25章、観音経、この経典は「究極のレスキュー・マニュアル」ともいわれているとか。物語は、無尽意(むじんに)菩薩という、菩薩が、お釈迦様に「観世音菩薩は、なぜ『観世音(世の音を観る者)』と呼ばれているのですか?」と質問するところから始まり、観世音菩薩(観音様)がいかに我々を救ってくれるかという、壮大なお話が展開されます。

一方、ひろさちや氏は書籍「ひろさちやの幸福論」でもう少しわかりやすく解説されています。私たちはみな観音様である。観音様はやがて仏様になる。でも、仏様になるまで長い年月を待たなければならない。観音様は本来、極楽浄土にいるため、浄土ではなんの苦労も経験できず、結果として修行ができない。そこで、浄土から娑婆(この世)に下りてきて、人間に変身した観音様がそれぞれの役割を演じて遊んでいる。この世の不条理、悲しみ、苦しみは修行にすぎない、いいかえれば、遊びのなかの修行に過ぎない、そんな内容だったと思います(今、本書をパラパラとめくっても確かな内容が確認できませんでした)。

人生は遊び、そういわれるとどう感じられるでしょうか。なんとなく、不真面目だなと思ったりもします。でも、とてもつらいとき、そう言われると、心が楽になるものです。年をとれば、親戚、友人、知人との別れは仕方ないもの。四苦八苦、これらは仏様になるための修行と覚悟して我慢するしかありません。私たちはみな、観音様。人生は遊びともいえる。浄土と娑婆の中間あたりに浮いている雲の上に寝そべって、ぽかぽかとしたお日様を受けてゆったりと寝ている自分を想像しながらベッドに入ると、つらいことも忘れてそのうち寝てしまったことがあります。安心が一番。論理的ではないことはわかっていますが、人が生きていくには必要な智慧だと思っています。

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